原点

何故、自分は洋服屋という職業を選んだのだろうか・・・
ふと考える事がある。

私が20歳の時、当時は実家のある横浜に住んでいました。
その頃の僕は、大学が終わると一目散にアルバイト先へ直行し
洋服を買う事だけを目的に必至に働く日々を送っていました。
毎月約10万~多い時で13万円くらいの給料を頂いて、
それを握りしめ、中目黒・代官山・恵比寿・渋谷・原宿・青山を
一日かけて練り歩き、自分の良いと思った服屋をハシゴしては
その日のうちに、稼いだお金の殆どを使い果たす・・・という事を繰り返していた20代。



たった一日で一文無し。服だけはある。その服を着て遊びたい、でもお金はない・・・。
そんな計画性のない私を救ってくれていたのが、
毎月1回(多い時2回)開催される、原宿・代々木公園のフリーマーケットでした。
日本一と呼ばれるこのフリーマケットには、様々なジャンルのお店が集まり
見に行くだけでもわくわくするような、大きなイベントの一つでした。
そこへ服好きの友人とお互いの私物の洋服を持ち寄っては
毎月の様にフリマへと足を運ぶ。
お金を稼ぐ目的もありましたが、それ以上にそこにはお洒落をした若者で溢れて
そんな人達と交流をしながら、自分の洋服を売っている・・・
当時の僕は、そんな事もカッコイイと思っていました。。

2人組で出店している可愛い女の子を探し、「場所代の半分を払うんで」と言いスペースを確保。
その当時は景気も良かったせいか、持っていった洋服の殆どが完売したように記憶している。
服を並べようとしてる瞬間から、「これ、幾らですか?」と声がかかり、次第に人が集まってくる。。
自分が良いと思って選んで買った洋服が、知らない人に共感してもらい売れる感覚がとても嬉しくて
次第にその気になってきて、自分なりに選んだ理由や服のストーリー(ウンチク)などを必死になって説明をする。
今思い返すと、素人ながらも、モノを売る事・買って頂くという事に対して
服を介して「情熱」をもって人へ伝えたり・表現をしたりしていたなと、思う。


多く売れた日で一日に10万~15万くらいは売れた記憶があります。
それを握りしめ、そのままの足でいつものコース(原宿→青山→渋谷)をはしごする。
家路に着く頃には両手に大きな紙袋を抱え、ほくほくと満足げな笑みとクタクタの身体で帰宅。
その夜は、部屋で購入した洋服で深夜までファッションショー。
当然、財布には今後生活するのにギリギリのお金だけ・・・
結果、お金は無いけれどそんな事が楽しくて仕方なかった。



あれから約10年以上の月日が流れ、こうして盛岡という土地で洋服屋をやっている。
ふと考えた時に、服に関わる仕事をしてかれこれ10年以上の月日が経つのですが、
あの頃の一番わくわくして楽しかった感覚に、今が最も近いという気がしている。
あの代々木公園が、原点。
自分達が納得して良いと思い選んだ商品を、店で表現してお客様に対して提案をする。
何故セレクトしたのか、どういった特徴があるのか、背景やストーリー。
多少のウンチクも交えて「情熱」を持って伝えようとしている。
あの頃となんら変わりない自分。
ただ単純に洋服が大好きで仕方なかった自分。
変わった事と言えば、半分貸してもらっていた場所(店)が
今は独立し職業として、自分のお店を持っているという事。

当時(フリーマーケット)よりは、カッコつけたお店ですが
洋服を見に行く時のワクワクする気持ちや
何か格好良いのもが見つかるのではなかという期待感・・・
そんな事を想いながら「rasiku」へ足を運んで貰えるような
お店でありたいと思っています。
「rasiku」に来た事がきっかけで、洋服を着る事が楽しいと思って頂けたら・・・
いつもの何気ない日常が、服を着る事で気持ちの良い一日になってくれたら・・・
もっともっとファッションが行き交う街になっていくように。。
想いは募る・・・

今日で丁度3か月。
まだまだ、始まったばかり。
そんな中でも『こういうお店が出来て嬉しいです』と言って頂けることに
自分はそれ以上の嬉しさを感じているという事を、『店』というカタチで
お返ししていこうと改めて、思うのです。
今の自分自身の心境を確かめるために、残しておこうと思い書かせて頂きました。
最後に、洋服を自分「らしく」楽しんで欲しい・・・
rasiku sasaki

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