奄美大島
今回の旅は1枚のTシャツがきっかけで、どうしても自分の目で見て確かめてみたいという気持ちでその場所へ向かいました。
場所は鹿児島県の離島の中の1つにある「奄美大島」
面積は東京都の23区と同じくらいあるのですが、人口は4万人強くらいの自然が手つかずに多く残された島です。
行くのは勿論初めてで、丁度2年前の7月にrasikuと隣の喫茶cartaさんと一緒に行ったイベントの際に、何か記念になるものを
思って、FUJITOの藤戸さんに別注をお願いして作製して貰ったのが″泥藍染をしたTシャツ″でした。
通常の藍染よりも深い色合いで、何とも表現し難い複雑な色目が特徴で夏になると気に入って着ている気に入りの1枚です。
このTシャツを作るにあたって染めをお願いをしたのが、奄美大島で染色の活動されている「金井工芸」さんでした。
何とも言えない味わいのある色目はどうして出来上がるのかを、ずっと頭の中で考えたりしていたのですが
いつか実際にその場所に訪れて、お話を聞いてみたいと思っていました。
今年に入って様々な場所でふいに出逢ったり、飛び込んでくる”奄美″という言葉。
これはもうすべて何かの報せではないかと思い、
念願が叶って、二年越しの想いを胸に今回奄美大島へと旅することになりました。
訪れたその場所は、自分が頭で想像していたよりもずっとずっとシンプルで、そんな仕事のスタイルに衝撃をうけました。
言葉にしてしまうと表現が凄くチープになってしまったり、過剰な演出の様になってしまったりするのですが
自然をそのままに循環させて、それに対して人が合わせて動くという表現がぴったり当てはまる土地だと感じました。
1つ1つ目に飛び込んでくる景色や匂い、職人さんの手や姿勢など、無理もせず無駄のない生き方が表れていて
自分達がお願いをして作っていただいたTシャツがこの場所で染まったのかと思うと感動しましたし、
Tシャツの良さも、有難みも改めて実感する事が出来ました。
今回お世話になりました金井工芸さんは奄美大島の伝統的織り物の「大島紬」の生産工程の一部を現在も担っている
小さな工房です。車で運転をしていると、国道沿いにも何か所かで泥染めなどを体験させてくれる工房が幾つかあって
奄美大島の産業の1つとして大切にされているということを認識する事が出来ました。
金井工芸の金井さんは、伝統は伝統で守らなければならない部分もあるのですが昔の事をそのままやり続けてしまうと、
時代が流れているのに対して、大島紬だけが化石のような立ち位置になってしまうと仰っていました。
私達が今住んでいる盛岡にも沢山の良い伝統工芸は残されていますが、時代とアンマッチさを感じる事が多くあります。
きっと同じような感覚を金井さんは持たれているのではないかなと思いました。
それが良いとか悪いとか白黒で判断するのではなく、どう伝えていくのか、どういう切り口で若い人達に理解を深めて
良き伝統を如何にして守っていくのかが大切な事だというのを再認識させられました。
金井さんは奄美大島出身で一度東京へ出て染めとは全く異なる仕事に就かれていて、実家に戻った当初も家業を継ぐつもりは
一切なかったと話します。いつか無くなる物ぐらいに思ってもいた。けれど、身近で行われていることがどういうものかは
知る必要はあると思っていて、いざ入ったその世界では、材料を山にとりいく。取りに行くってなんだろう・・。
そんなことから、徐々に染めの面白さにとりつかれてしまい、現在は様々な植物から色を抽出したり、
色んな物を染めてみたり、新しい試みや活動をしながら、伝統でもある大島紬とも向き合っているそうです。
お話をしていると説明をして下さる言葉が柔らかくて、けれどしっかりとした芯を感じる方だなというのが印象的でした。
今回は自分達で持ち込んた白いTシャツやコートやストールなどを「泥藍」で染めるというのが目的でした。
先ずは藍染から施していきます。琉球藍の染料が入った樽の中に商品をゆっくりと沈めていきます。
最初は緑っぽくなるのですが、空気に触れる事で染料が酸化して鮮やかなブルーへと変化をしてきます。
軽く絞って干して色を定着させていきます。その後、水ですすいでもう一度藍の入った樽の中へ沈めてより
色を濃くさせていきます。この作業を繰り返せば繰り返すほどに色が濃く入っていきます。
ふと考えると別注したTシャツの色がかなり濃い・・・何回くらいやったのだろうと考えてしまいました。
濃く染めるにはそれ相応の回数が必要で、1つ1つ染まり具合を見ながらやらなければならないので
骨の折れる作業工程で職人ならではの感覚と経験のいる仕事だと感じました。
自分のイメージに色に仕上がったので、次は泥染めを施していきます。
泥染めと聞いて、泥の中に入ってやるんだろうと思っていました。
実際に泥染め専用の泥のプールが工場の横にあるのですが、今回はそちらを使わない方法になりました。
泥染め自体は泥の中に含まれている鉄分が化学反応を起こして、徐々に黒に染まるというのが理由で奄美大島の泥には
鉄分が多く含まれているというのが、染めに適していているという事になります。
染まりが悪い時には、山から鉄分の沢山入っている木や葉を切りだして煮出して泥田の中に混ぜるとおっしゃっていました。
何かを買ってきたりする事はないとの事。奄美大島で自生している植物から全てを賄えると言っていたのが印象的でした。
泥田の中を見ていると何かが動く陰がみえました。気になって金井さんに聞くと「イモリ」だそうです。
生れて初めて「イモリ」を見ました。「イモリ」が生息するという事は泥田が汚れていない証拠という事。
それが分かるので自然の生き物も1つの指標になると。
奄美大島では当たり前の事かもしれませんが、僕にとっては見るもの1つ1つがとにかく新鮮。イモリはじめまして。
車輪梅(花が梅に似ているから、でもバラ科の植物)
車輪梅に含まれるタンニン酸色素が鉄分とが化学結合を何十回と繰り返す事で艶のある美しい黒に染まります。
僕等は室内に入って藍染をした洋服の上から泥染めを施す作業に入ります。
藍染された洋服は一度、色止めを施す為にお酢ときなこを混ぜ合わせた水の中に2時間くらいつけておきました。
タンパク質に反応をして色落ちがし難くなるとの事で、色止めと聞くとケミカルな薬品かなと想像していたのですが
まさか「お酢」と「きなこ」と身近にあるものでびっくりしました。
泥染めをする際に必要な車輪梅と言われる木。
この木自体は全国的にも生えている木なのですが、奄美大島では特に多く採れる木の1つで車輪梅を細かくチップにして
煮出して、煮出し終わったチップは乾かして煮る際に使う燃料として使用し、最後は灰になって、その灰は染めを行う時の
原材料として使うという循環で1つも無駄がなくサイクルが回っています。
染めを行う際に大量の水が必要なのですが、地下から湧き出している水を使っているというのも何だか頷けて感心しました。
全てが理に敵っていて、自然のサイクルが難しいものは手を出さないと言っていた金井さんの言葉が心に突き刺さりました。
真水と濃度の異なるプールが2つあり、それを混ぜ合わせながら使う事で染め上がりを調整していきます。
何とも言えない車輪梅の匂いが工場を包み込みます。
目で見て手で触れて匂いを感じる、身体の神経の至る所が刺激されていきます。
車輪梅のエキスに鉄分をプラスして化学反応をさせます。
そうする事で、赤茶からブルーとグレーを足したような色目に変化をさせます。
この状態になった所へ藍染をした洋服を入れて、少しずつ揉み込んで色を定着させていきます。
一度水洗いをして、色の変化を確認して更に濃く色を入れる場合は何度も同じ工程を繰り返しながらイメージする色目に
仕上げていきます。素材によってもマチマチですしその日の湿度や気温によっても安定しないとの事でしたので
熟練した職人の感覚が必要とされる作業だと感じました。
作業負担を減らす為に、オートメーション出来る機械を導入した事があったようなのですが煮出した際の湯気などで
トラブルが相次いで、それらを直すのも手作業で面倒だと気付いてからは殆どの作業が手作業になったそうです・・・(笑)
工場内には至る所に大島紬の作業途中の布が幾つも置かれていました。
熟練した職人さんの水を切る音と染めをる為に漬け込む音とがリズミカルに聞こえてきます。
染めあがった洋服は外にある大きな木の下、風が心地よく抜ける木陰に干しながら乾くのしばし待ちます。
実際に訪れてみて感じた事は、金井さん自身が何か特別な事をやっている感じが全くなく自然のサイクルの中の1つの
役割を担われていて、無理に大きな動きや負荷を加えて変えようとはせずに、目の前に広がる景色などから
インスピレーションを沸かして創意工夫をしながら行動をされている姿はとても素敵だと感じました。
こうして僕らのような物を伝える側の立場の人間がやれる事、感じて動く事はまだまだ沢山あるように思いましたし、
作り手と受け渡し手とお客様との3つの関係性が、其々に理解されて豊かになっていく事が結果として継続的な好循環に
なり得るのかなと僕自身は率直に思いました。
染め上がりの洋服は想像していた以上に格好良くなり、奄美の海でも洗って色を馴染ませてきました。
これから大切に一緒に時間を過ごそうと思っています。
旅はもうすこし続きます・・・また明日・・・
2017/06/08 | 6:43 PM | rasikuの想い