物と向き合う

今日の盛岡は清々しい秋晴れだ。
中津川に鮭が溯上して、樹齢100年以上の銀杏の木が少しずつ冬支度を始めていて
ゆっくりと移り変わる景色を見ながら毎日を過ごしています。
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僕自身、お店をやっていて最近感じた事や心の変化を久しぶりに書いてみようと思います。
ここ何年かでSNSの進化がめざましく、情報をよりスムーズに誰でも簡単に見たりする事が出来るようになりました。
お店は勿論ですが、スマートフォンを手にした1人1人が発信者になって、今まで購入した物、見た景色、食べた物などを
タイムリーに共有をして、物を買ったり食べたり見たりするという行動に変化をもたらしてきているように思います。
その恩恵として、美味しいご飯屋さんであったり、素敵なアイテムがずらりと並ぶお店や空間にインターネットをある程度
使いこなせるようになれば、誰でもその場所や空間に気軽に行ける様になりました。
ちょっと前までは食べログなどの口コミ情報が一番信頼出来るというか(笑)そんな時代に生きていた私としては
道具の進化によって、より的確に食べたい物や欲しい物がスムーズに失敗なく手に入る時代になってきたのだろうと
勝手に推測をしています。電子機器にうとい僕にとっては、使いこなすまでは当然いかず、半ば諦めてしまっていて
よっぽど、ここに行きたいという信念と心の余裕が無ければその場所に到底たどり着く事は出来ません。
画面から流れてくる情報は目には入ってくるものの、殆ど頭に入らずにただただ流れている・・・そんな状況です。
僕自身が何か不自由しているかと言えばそんな事はないですし、流れてくる情報に気持ちや考え方が左右されてしまって
困ってしまうという事も経験していません。それよりも一番に大切にしているのは、目の前で起きている事を肌で感じ
素直に表現する、何となくな″感覚″や″直感″を信じて生きている方が毎日が楽しくワクワクして、充実感があるなと
最近はより一層感じるようになりました。毎日を繰り返しやっていく事で、今までとは違った角度で物事が考えられたり
いつもと同じ景色や当たり前だった事が違って見えてきたりと新鮮な気持ちでいられると思っています。
全て自分で決断している事なので、後になって何か後悔したり人のせいにはしませんし、
自然の流れにある程度身を任せているという表現がしっくり当てはまるのかもしれません。
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若い頃は血眼になって1つの事項を深く掘り下げていた時期もありましたが、雑誌媒体やインターネットの情報をあれこれと
調べ尽くした所で知った気になってしまっていたり、心の満足はそれで満たされているのか・・・という単純な疑問。
お客様の方が商品に対して知識が豊富であったり、メーカーの内部事情まで詳しかったり・・・と
多くの情報をキャッチしない自分にとっては何だかびっくりしたり驚く事の連続で、教えて頂く事の
方がむしろ多かったりで、結局何の為の誰の為の″情報″なのかをよくよく考えさせられる事もあります。
それは善し悪しがあるので何とも言えないと思っていますが・・・
何かを信じたり決断するのは、どんな時代でも自分自身の判断でしかないんだなと思ってしまうのです。
そんな事を考えると、深く掘り下げた情報に左右されていたり、見知らぬ人の情報を鵜呑みにしたりするのではなく
今、目の前に起きている現実と向き合う事をしてみても良いのではないかと思う様になりました。
それがきっとリアルだと思いますし、感性や感覚も今よりずっと磨かれていくのではと僕自身は思うのです。
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昔話をしても仕方ないのですが、僕が買い物にどっぷりと浸かっていた10代後半から20代前半の頃は
自分のアンテナに引っ掛かるというよりは、有名な人物であったりトレンドのアンテナに引っ掛かったものが良く見える
というのが殆どでした。皆が同じブランドの同じ物を追いかけていて、今考えるとそれは不思議な光景でもありました。
その得体のしれない″何か″はきっと″情報″や人が勝手に付けた″価値″で操られていたのだと、冷静に考えれば
分かるはずなのですが、それ以上に″熱″があったので周りを見れずに、ただただ「物」に踊らされていました。
お店に欲しいものが無くても、何かしら「買う」という行為がしたいがために無理に買い物をしていました。
今考えるとそれがトレーニングになったのかどうかは分からないですが、目の前にあるものを見てイメージして想像したり
する事が当り前になっていて、欲しいと思える物を直線的に手に入れるよりも、ちょっと寄り道したり、
普段は選ばないような物でも手にしてみてると意外と・・・という事が多々あって、実は横道にそれるくらいが
丁度良いかもという感覚が芽生える様にもなりました。
今のご時世を考えると、物がこれだけ溢れているので欲しい物だけを買うというのが当り前の事かもしれませんが
だからと言って自分のイメージ通りの物を手にしたからといってお洒落になれたり素敵になれるという事とはイコールで
結びつかないから面白いものです。自分で体験しているので良く分かるのですが、物は手にしてみて、自分なりの解釈と
落としどころを見つけていく事が大切で、次第にそれが板についてきてオリジナリティに結びついていくのだと思うのです。
物を買う事は出来たとしても、着熟したり乗りこなしたりするまでには物と過ごす″時間の経過″が必要です。
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何も考えずに1つ1つの商品を見て、物と真摯に向き合っているお客様をみると何だか嬉しくなってしまいます。
情報や知識をいくら沢山積み上げたからと言って豊かになるという事には繋がらないと思いますし、
頭の中が空っぽくらいの方が、物を見た時の感動だったり袖を通した感覚を肌で感じて頂ける気がします。
こんな文章を書いたからと言って何かが大きく変わるという事はないですし、否定をしたいという事でもありません。
僕は純粋にデザイナーが作りだした物を、感覚的に選んでお店にこれからも商品を並べて接客をして提案をしていきたい
ですし、ある程度の知識や情報が必要だとしても、それを直接的な売り文句にはしていきたくないと思っています。
選択するのはお客様であって、それを着たり手にしたいと思えるか・思えないか・・・この2つしかないと思うのです。
その決断が楽しくて、手にした時の家路に着くまでの帰路が楽しくて、帰宅してからの試着が楽しくて・・・
そんな単純な楽しさをこれからもっと沢山提供していければと思っています。
僕らも今日は時間を遅らせてお店を開けさせて頂きましたが、朝から物と向き合ってきました。
初めて手にしようとする物は何だか緊張しますし、心の中で大きな決断も必要になってきますが
物を目の前にして感じたり、悩んでいたり、選択をしている時間こそが、手にした後により心に響いてくるのだろうと
感じています・・・さて、何処に飾ろうかな・・・

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